渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!Episode02

B!

言霊の備忘録:渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!Episode02

渋沢 栄一ってどんな人なの?

渋沢 栄一氏のプロフィール

 渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)【天保11年2月13日(1840年3月16日)- 昭和6年(1931年)11月11日)】日本の実業家、慈善家。位階勲等爵位は、正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せいえん)。武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)に父・渋沢市郎右衛門元助、母・エイの長男として生まれた。幼名は栄二郎。のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎を名乗る。渋沢成一郎は従兄にあたる。

 渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農だった。原料の買い入れと販売を担うため、一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。市三郎も父と共に信州や上州まで藍を売り歩き、藍葉を仕入れる作業も行った。14歳の時からは単身で藍葉の仕入れに出かけるようになり、この時の経験がヨーロッパ時代の経済システムを吸収しやすい素地を作り出し、後の現実的な合理主義思想に繋がったといわれる。

 江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)に取り立てられ、明治政府では大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔・井上馨の下で財政政策を行った。退官後は実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な企業の設立・経営に関わり、二松學舍第3代舎長(現在の二松学舎大学)を務めた。また商法講習所(現在の一橋大学)大倉商業学校(現在の東京経済大学)の設立にも尽力し、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。また、論語を通じた経営哲学でも広く知られている。

社会貢献活動
 渋沢は実業界の中でも最も社会活動に熱心で、東京市からの要請で養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の院長を務めたほか、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わり財団法人聖路加国際病院初代理事長、財団法人滝乃川学園初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長などもした。日露戦争開戦の前年にあたる明治36年(1903年)対印貿易の重要性を認識していた渋沢は、大隈重信らとともに日印協会の設立に携わり、第3代会長をつとめた。

 日本を代表する経済人として、また初代紙幣頭(後の印刷局長)として日本銀行券(紙幣)の肖像の候補者として何度も選ばれ、日本銀行券C千円券(1963年11月1日発行開始)では肖像候補として最終選考にまで残ったが、採用されることはなかった。しかし、2024年度上半期に執行が予定されている紙幣改定により一万円札において渋沢の肖像が採用されることになった。

 1902年から1904年にかけて大韓帝国で発行された初期の第一銀行券の1円、5円、10円券には当時の経営者だった渋沢の肖像が描かれていた。ちなみに、この第一銀行券を「一国の紙幣が日本の民間銀行の銀行券を使用しているのはいかがなものか」と韓国独自の中央銀行(後の朝鮮銀行)へと切り替えたのは韓国統監時代の伊藤博文である。

 出身の深谷市では、栄一の命月の11月が『渋沢栄一記念月間』に指定され、毎年イベントが催されている。埼玉県子ども会育成連絡協議会が発行した『さいたま郷土かるた』の『に』の項目は『日本の産業育てた渋沢翁』となっており、畠山重忠、塙保己一と並ぶ埼玉を代表する偉人として、3人札(役札:3枚そろえると10点)に選出されている。

 『彩の国21世紀郷土かるた』の『え』の項目は『栄一も食べたネギ入り煮ぼうとう』となっている
。これは深谷ねぎが栄一の故郷の深谷の特産品であることと、煮ぼうとうが埼玉県北部の郷土料理であることにちなんでいる。現在埼玉県では渋沢の功績にちなみ、健全な企業活動と社会貢献活動に取り組んでいる全国の企業経営者に「渋沢栄一賞」を授与している。


『(ウィキペディア日本語版)』『(ウィキペディア英語版)』より抜粋。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!Episode02

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!


管理人ミオのお気に入りの名言です。

夢なき者は理想なし。
理想なき者は信念なし。
信念なき者は計画なし。
計画なき者は実行なし。
実行なき者は成果なし。
成果なき者は幸福なし。
ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,026


 事を成し、物に接するには、必ず「満身の精神」をもってせよ。ささいな事であっても、いい加減に扱ってはならない。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,027


 事業には信用が第一である。世間の信用を得るには、世間を信用することだ。個人も同じである。自分が相手を疑いながら、自分を信用せよとは虫のいい話だ。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,028


 実業家として立 とうとするならば、自分の学術知識を活用し、主義に忠実に働いて一生を過ごせば、そのほうがはるかに価値のある人生である。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,029


 死ぬときに残す教訓が大事なのではなく、生きている時の行動が大事なのだ。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,030


 自分が信じないことは言わず、知ったからには必ず行うという思いが強くなれば、自然に言葉は少なく、行動は素早くなる。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,031


 自分が手にする富が増えれば増えるほど、社会の助力を受けているのだから、その恩恵に報いるため、できるかぎり社会のために助力しなければならない。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,032


 重役は常に、会社の財産は他人の物である。といふことを深く念頭に置かねばならぬ。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,033


 総て重役が其の地位を保ち其の職責を尽しているのは、必ず多数株主の希望に依るものであるから、若し多数人の信任が無くなった際は、何時でも其の職を去るのが当然のことである。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,034


 真の富とは道徳に基づくものでなければ決して永くは続かない。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,035


 身体はたとい衰弱するとしても、常に学問を進めて時代に遅れぬ人であったならば、いつまでも精神に老衰ということはなかろうと思う。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,036


 信用はのれんや見た目から得られるものではなく、確固たる信念から生まれる。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,037


 信用はそれが大きければ大きいほど、大いなる資本を活用することができる。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,038


 世に立ち、大いに活動せんとする人は、資本を造るよりも、まず信用の厚い人たるべく心掛けなくてはならない。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,039


 商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,040


 人生の行路は様々で、時に善人が悪人に敗けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,041


 数字算出の確固たる見通しと、裏づけのない事業は必ず失敗する。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,042


 全て形式に流れると精神が乏しくなる。何でも日々新たにという心がけが大事である。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,043


 すべて物を励むには競うということが必要であって、競うから励みが生ずるのである。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,044


 いやしくも正しい道を、あくまで進んで行こうとすれば、絶対に争いを避けることはできぬものである。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,045


 成功には嫉妬が伴い、成功者の多くは老獪(ろうかい)と目されやすい。地位と名誉には、それぞれ付随する慎みがあることを忘れてはならぬ。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,046


 そもそも多能は聖人の本色ではないとしても、多能なるくらいの種々の経験ある人にあらざれば真正の聖人となり得ざるべし。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,047


 『智』『情』『意』の三者が権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だと考える。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,048


 ただそれを知っただけでは上手くいかない。好きになればその道に向かって進む。もしそれを心から楽しむことが出来れば、いかなる困難にもくじけることなく進むことができるのだ。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,049


 ただ順逆を立つる人は、よろしくそのよって来るゆえんを講究し、それが人為的逆境であるか、ただしは自然的逆境であるかを区別し、しかる後これに応ずるの策を立てねばならぬ。小事も、積んでは大事となる。

渋沢 栄一の名言・格言集100選プラスα!No,050


 たとえその事業が微々たるものであろうと、自分の利益は少額であろうと、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで仕事にあたることができる。

最新の記事はこちらから