芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)【1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)】日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼。その作品の多くは短編小説である。また『芋粥』『藪の中』『地獄変』など『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。『蜘蛛の糸』『杜子春』といった児童向けの作品も書いている。東京市京橋区入船町8丁目(現東京都中央区明石町)に牛乳製造販売業を営む新原敏三、フクの長男として生まれる。姉が2人いたが、長姉は、龍之介が生まれる1年前に6歳で病死している。
生後7ヵ月後頃に母フクが精神に異常をきたしたため、東京市本所区小泉町(現在の東京都墨田区両国)にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母フキに養育される。11歳の時に母が亡くなり、翌年に叔父芥川道章(フクの実兄)の養子となり芥川姓を名乗ることになった。旧家の士族である芥川家は江戸時代、代々徳川家に仕え雑用、茶の湯を担当したお数寄屋坊主の家である。家中が芸術・演芸を愛好し、江戸の文人的趣味が残っていた。なお、龍之介の名前は、彼が辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことに由来すると言われているが、出生時刻については資料がないため不明。 戸籍上の正しい名前は『龍之介』であるが、養家である芥川家や府立三中、一高、東京大学関係の名簿類では『龍之助』になっている。彼自身は『龍之助』表記を嫌った。
作品の特徴
作品は、短編小説が多く知られている。しかし初期の作品には、西洋の文学を和訳したものも存在する『バルタザアル』など。英文科を出た芥川は、その文章構成の仕方も英文学的であると言われている『誰によって?』。翻訳文学的でもある論理的に整理された簡潔・平明な筆致に特徴がある。
短編の傑作が一方で、長編を物にすることはできなかった。未完小説として『邪宗門』『路上』がある。また、生活と芸術は相反するものだと考え、生活と芸術を切り離すという理想のもとに作品を執筆したといわれる。他の作家に比べ表現やとらえ方が生々しい。晩年には志賀直哉の『話らしい話のない』心境小説を肯定し、それまでのストーリー性のある自己の文学を完全否定する。その際の作品に『蜃気楼』が挙げられる。
『杜子春』など古典を参考にしたものや、原話は唐の小説『杜子春伝』鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』に発表されたものなど児童向け作品も多い。一般的には、キリシタン物や平安朝を舞台とした王朝物などに分類される。また、古典(説話文学)から構想を得た作品も多い。例えば『羅生門』や『鼻』『芋粥』などは『今昔物語集』を『地獄変』などは『宇治拾遺物語』を題材としている。またアフォリズムの制作も得意としており、漢文などにも通じていた。
自殺を考えていたのか、自分のこれまでの人生を見直したり、生死を取り上げたりした作品が多く見られる。初期より晩年の方を高く評価する見解も示されている。『一塊の土』など、これまでと比べ現代を描くようになるが、台頭するプロレタリア文壇にブルジョア作家と攻撃されることとなる。この頃から告白的自伝を書き始める。『大導寺信輔の半生』『点鬼簿』など。晩年の代表作『河童』は、河童の世界を描くことで人間社会を痛烈に批判しており、当時の人々に問題を提起した。
『歯車』の内容から、晩年には自分自身のドッペルゲンガー(Doppelgänger)を見たのではないか、また、片頭痛あるいはその前兆症状である閃輝暗点を患っていたのではないか、という説がある。『水洟(みづぱな)や 鼻の先だけ 暮れ残る』と、自殺直前に書いた色紙の一句が辞世とされる。
自殺に関して
1927年(昭和2年)7月24日、雨の降りしきる中、田端の自室で芥川龍之介は服毒自殺を行い、社会に衝撃を与えた。使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた、同じ漱石門下で親友の内田百閒によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。既に自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。
一方で、自殺の直前には身辺の者に自殺を仄めかす言動を多く残しており、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために死亡したとする説がある。また、死後に見つかり、久米正雄に宛てたとされる遺書『或旧友へ送る手記』の中では自殺の手段や場所について具体的に書かれ『僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。(中略)…僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品(バルビツール酸系ヴェロナール (Veronal) 及びジャール)を手に入れようとした」とあることから、記述を信頼すれば計画的に自殺を企てていた節も窺える。エンペドクレスの伝記にも言及し「みずからを神としたい欲望」についても記している。
遺書として、妻・文に宛てた手紙、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙がある。芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であるが、自殺直前の芥川の厭世的、あるいは「病」的な心境は「河童」を初めとする晩年の作品群に明確に表現されており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自殺の動機を考えるべきではないともいえる。芥川命日は小説「河童」から取って河童忌と称される。
死の直前である7月初め、菊池寛に会うため2度文藝春秋社を訪れているが会うことができなかった。社員が菊池に芥川が訪れたことを報告せず、生前に菊池が芥川を訪ねることもなかった。死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで『もし私が外出しなかったら、芥川君の話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった』と、悔やんでいたという。また、死の直前に『橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿の頭』と河童に関する作を残した。
『(ウィキペディア日本語版)』『(ウィキペディア英語版)』より抜粋。
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文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。
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文を作るのに欠くべからざるものは、何よりも創作的情熱である。
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暴君を暴君と呼ぶことは危険だったのに違いない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはりはなはだ危険である。
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僕等の性格は不思議にも、たいてい頸(くび)すじに現れている。
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僕は芸術的良心を始め、どういう良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである。
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民衆の愚を発見するのは、必ずしも誇るに足ることではない。が、我々自身も亦民衆であることを発見するのは、ともかくも誇るに足ることである。
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最も賢い処世術は、社会的因襲を軽蔑しながら、しかも、社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。
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最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかも、その又習慣を少しも破らないように暮らすことである。
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いや、もうその位で沢山だよ。君のように理屈をつければ、案山子も鎧武者になってしまう。君のように嫉妬深いと、鎧武者も案山子と思ってしまうぜ。
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要するに莫迦(ばか)な女は嫌いです。ことに利巧だと心得ている莫迦な女は手がつけられません。
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良心は道徳をつくるかも知れぬ。しかし道徳はいまだかつて良心の『良』の字を創ったことはない。
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理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ。
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恋愛の徴候の一つは、彼女に似た顔を発見することに、極度に鋭敏になることである。
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恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくても詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。
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私は二三の友だちには、たとい真実を言わないにもせよ、嘘をついたことは一度もなかった。彼等もまた嘘をつかなかったら。
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私は良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。
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私は第三者を愛するために夫の目を盗んでいる女には、恋愛を感じないことはない。しかし第三者を愛するために子供を顧みない女には、満身の憎悪を感じている。
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私は不幸にも知っている。時には嘘によるほかは語られぬ真実もあることを。
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我々人間の特色は、神の決して犯さない過失を犯すということである。
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我々に武器を執らしめるものは、いつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。
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我々の生活に必要な思想は、三千年前に尽きたかもしれない。我々は唯古い薪に、新しい炎を加えるだけであろう。
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我々のもっとも誇りたいものは我々の持っていないものだけである。
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我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである。
芥川 龍之介の名言・格言集100選プラスα!No,099
我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであろう。同時に又あらゆる男子の中にも、いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶や厳畳に出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであろう。
芥川 龍之介の名言・格言集100選プラスα!No,100
我々を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我々はほとんど損害のほかに、何の恩恵にも浴してゐない。
芥川 龍之介の名言・格言集100選プラスα!No,101
我々を走らせる軌道は、機関車にはわかっていないように我々自身にもわかっていない。この軌道もおそらくはトンネルや鉄橋に通じていることであろう。
芥川 龍之介の名言・格言集100選プラスα!No,102
我々を恋愛から救ふものは理性よりもむしろ多忙である。恋愛もまた完全に行なはれるためには何よりも時間を待たねばならぬ。
芥川 龍之介の名言・格言集100選プラスα!No,103
五位はこれらの揶揄に対して、全然無感覚であった。少くも、わき眼には、無感覚であるらしく思われた。彼は何を云われても、顔の色さえ変えた事がない。