島田 紳助(しまだ しんすけ)1956年3月24日【本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)】京都府京都市南区出身。AB型。1974年から2011年の芸能界引退時まで一貫して吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属。元お笑い芸人・タレント・作詞家・映画監督・テレビ番組のプロデュースなど幅広く活動。漫才コンビ出身でコンビ時代は紳助・竜介のボケを担当。松本竜介との漫才コンビ、紳助・竜介を結成。漫才ブームの中『ツッパリ漫才』で人気を獲得。85年5月に紳助・竜介を解散後、日本テレビ『歌のトップテン』の司会に起用されたのをきっかけに、多くの番組で毒を含んだ独特の司会術を確立した。
TBS系『オールスター感謝祭』、日本テレビ系『行列のできる法律相談所』など多数の番組の司会を務める。また、フジテレビ系バラエティ『クイズヘキサゴンII』にて結成された羞恥心やPaboなどのユニットに『カシアス島田』名義で歌詞を提供するなど、多方面で活躍。2001年には吉本興業から「漫才復活のために知恵を貸してください」と頼まれ、漫才選手権大会(テレビ番組でもある)『M-1グランプリ』を企画。大会委員長として審査員も務めた。厳しい審査の中でますだおかだ、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドウィッチマンなど数多くの若手漫才師を世に送り出す。
おぎやはぎ、南海キャンディーズ、オードリーなど優勝には至らなかったもののこの大会をきっかけにブレイクしたコンビも多い。2008年度からは「国民的行事」と呼ばれるほどの注目度と人気が高まった(この年、関西地区での平均視聴率35%以上、瞬間視聴率は40%以上を記録した)。2010年で惜しまれつつ一旦終了したが、紳助は『惜しまれて終わるのが一番良い』と述べている。
島田紳助の愛称
多くの芸能人からは「紳助さん」「紳助師匠」と呼ばれていたが、同期の明石家さんまや和田アキ子、笑福亭鶴瓶、上岡龍太郎、坂田利夫、やしきたかじん、上沼恵美子、ビートたけし、間寛平、B&B(島田洋七・島田洋八)、島田一の介、タモリ、大橋巨泉、所ジョージなどの年上の著名人及び、年下の先輩の著名人からは「紳助」、山城新伍からは「紳助ちゃん」、オール巨人、大平サブローからは「紳ちゃん」、今田耕司や松本人志からは「紳助兄やん」と呼ばれていた。また、クイズ!ヘキサゴンⅡでは、「カシアス島田さん」、「カシアスさん」などと呼ばれることもあった。2011年8月23日、突如、芸能界引退を発表し世間を驚かせた。
趣味・嗜好
1986年から1995年までの10年間、レーシングチーム『チーム・シンスケ』の監督として、鈴鹿8時間耐久ロードレースや全日本ロードレース選手権に参戦した。NHKのスポーツ番組でインタビューが放送されたこともある。1980年代後半はバブル景気の絶頂期であり、モータースポーツ界には各方面のタレントをお飾りで監督に仕立てた(つまりサーキットに来てもレース関係の仕事は何もしない)レーシングチームが2輪・4輪を問わず乱立していたが、紳助は自ら企画書を作成してスポンサー企業を回ったり、レース当日は自分で作戦を立ててライダーやスタッフに指示を出したりし、他のタレント監督とは完全に一線を画していた。
その時の活動を書いた著書『風よ、鈴鹿へ』は、小説ではあるがノンフィクションに限りなく近い作品である。また、1991年にはバイクレースをテーマとした映画『風、スローダウン』の監督をつとめている。自身も高校時代に経験しているためかボクシングに対しての造詣が深く、他のスポーツに比べてマイナーなイメージがある事を遺憾に思っている。先述の亀田一家のパフォーマンスや、辰吉丈一郎が対戦相手
『(ウィキペディア日本語版)』『(ウィキペディア英語版)』より抜粋。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,051
自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ないで。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,052
自分や他人の命を意味が無いと考える人間は、不幸であるだけでなく、ほぼ生きる資格がないで。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,053
自分が立っている所を深く掘ってみ。そこからきっと泉が湧きでてくるから。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,054
自分もいつかは死ぬ。それを思い出すことは、失うものなど何もないということを気づかせてくれる最善の方法や。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,055
真実は太陽のようなものや。一時的に覆い隠すことは出来るが、消し去ることは出来ない。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,056
人生において一番してはいけないこと、それは何もしないことです。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,057
人生は短いで。たとえ、それを長いと思って過ごしている人たちにとってもな。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,058
人生は切符を買って、線路の上を走る電車に乗る人にはわからないものや!
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,059
人生は後ろ向きにしか、理解できないけど、前向きにしか生きられないで。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,060
人生は、かけ算だ。どんなにチャンスがあっても君が『0』なら、意味がないんや。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,061
人生は1時間ドラマと一緒やで。始まって10分ぐらいが10歳。まだなんや、わからへん。
20分(20歳)ぐらいたつと物語が見えてくる。劇的に変化するのはドラマというのは、35分から40分。
35歳から40歳の間に人生ちゅうのは劇的に変化がおこる。人間も30歳から40歳はしっかり生きな、自分の人生のドラマは変わらへん。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,062
人生のバッターボックスに立ったら『見送りの三振』だけはするなよ。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,063
少しずつ、ほんの少しずつ、ずーっと頑張る。それが人生、勝つ方法です。その頑張りは、角度にしたらたったの1度です。でも、たった1度の先は、大きく離れています。たった1度なら、誰でも努力できるはずです
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,064
好きでもないのに、守る人もなくお金のために働くのが一番つまらんです。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,065
ずっと順風満帆で人生を過ごして来た人よりも、失敗の経験のある人の方が、僕にはよほど信用できる。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,066
スゴい努力も毎日やれば、その人の普通になるのです
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,067
成功者だけが、屁理屈すら理屈に変えることができるのです。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,068
成功した人は、普通の人なら、その困難に打ち負かされるところを、反対に喜び勇んで体当たりしているんや。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,069
世間体などクソ食らえです。自分が思ってるほど、世間は何とも思っていないのです。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,070
先生が決めたことが守れない。
親の言うことが守れない。
国の法律もうまく守れない。
そんな私でしたが、18歳の時、
ひとつだけ決めたことがあります。
自分の決めたことだけは、
何があっても守ろう、と。
自分の決めたことを
守れなかったら終わりだ、と。
大切なのは、
自分で決めるということです。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,071
生活するとは、この世でいちばんまれなことなんや。たいていの人は、ただ存在しているだけやからな。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,072
それが何であれ「まあ俺、そこそこでいい」って思った瞬間に、何もなれない。よくできたもので、そこそこの欲望には、そこそこの結果しかついてこないんや。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,073
絶えず決意をしていきていけば、たくましい人生を送ることができる。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,074
たくさんの人間に借金を頼まれました。そしてわかったのは、親友はどんなに困っても金を借りない、ということでした。
島田紳助の名言・格言集100選プラスα!No,075
楽しい学校はないのです。一番大切なこと、それは誰と過ごすかです。場所自体が楽しいのではなく、楽しい仲間といるから楽しいのです。